情報格差

あなたは悪くない | 性被害についての認識のずれ
通常の性行為と、暴行脅迫をもちいた性行為と、何が違うのかわからないという、男性の声を多く聞く。(残念ながら、法曹界にも多く存在する)

それを聞いたときは、倒れるかと思うくらいの、頭をなぐられたかのような衝撃を受けた。
即座に「まったく違います。殺人です」と答えたが、本当に残念なことに、男性にはなかなかわからないようなのだ。(もちろん、わかってくださる男性、わかろうとしてくださる男性もいらっしゃるが、残念ながら少数のように思われる)
http://manysided.blog85.fc2.com/blog-entry-14.html


一旦、この記事へのコメントを書いていました。けれど、長くなりすぎたので、コメントではなく自分の記事にしました。


> 通常の性行為と、暴行脅迫をもちいた性行為と、何が違うのかわからないという、男性の声を多く聞く。


この「多く」は、「(こんな極端に差別的で暴力的な考えをするかたなんてほんの一握りの例外でなければいけないはず。そのはずなのに)多く」、という意味だと思います。それでも、その多くの声がまさか大多数の男性の声だとは思ってはいませんよね。
でもきっと、その多くの声でさえ、氷山の一角に過ぎないでしょう。


男に同一化した男の大多数にとって、通常の性行為は暴行脅迫の欲望。
もちろん、たいていの場合は非暴力を偽装します。
それでいながら男たちだけの場所ではこんな会話をしているのでしょう。
 「いい女を見ると無理矢理犯したくなるよなあ」
 「そりゃそうですよ。男ですから」
そして男同士で男であることを共有しているのでしょう。
そんな男であることの内実は、女の目にとまる場所では隠し通しているのでしょう。
男の暴力を肯定する男は、男たちの支持を得ています。支持までいかなくても、容認はされています。だから、男の暴力を肯定する意見を表明できるんです。
 「他の男たちはだらしないなあ。俺はちゃんと本当のことを言うぞ。男がレイプくらい出来なきゃダメだ」
 「いやあ、なかなかそんなことは(女の前では)言えないっすよ」
男とはそう構築されているものだということを、知っているのは男たちだけ。
一名の強姦犯の陰には、同じ欲望を抱えながら、社会的制裁が怖かったり面倒だったり機会がなかったりで実行していない多数の未実行犯、普通の男たちがいます。
建前では色々言うでしょうが、そんな自分たちにとっては「当たり前」のことで、衝撃を受けているこの記事の姿に「男の実際を何もわかってないばか」と内心で嘲笑する姿がありありと思い浮かびます。
この記事の訴える驚きも怒りも悲しみも、きっと滑稽に見えるでしょう。
男と、男ではない者のあいだには、情報の差がありすぎます。
男を自認した男たちの男社会の情報は、男と認められる男、男と誤認される男以外から隠されています。

男は狼なのよ 気をつけなさい
年頃になったなら つつしみなさい
羊の顔していても 心の中は
狼が牙をむく そういうものよ
(1976年 ピンクレディー 『S・O・S』 作詞:阿久悠


狼に対して、とてもとても失礼な歌詞です。何よりもその点が気に障りますが、とりあえず置いておいて。
つつしみなさいもどういうことですか。1976年に既に自己責任論ですか。自然災害であるかのように加害者の罪は不問とし、被害者を責める。その点もとても気に障りますが、とりあえず置いておいて。
この歌が言うように、普段優しい表面を取り繕っていても、暴力の欲望を持っているものが男というものなんでしょうね。男ジェンダーとはそういうものなんでしょうね。
そうでもなきゃ、そうそう子作り目的でのセックスを行うわけでもないのに、異性愛において、男の射精中心の性器結合型セックスばかりが蔓延しているはずがないでしょう。

「自然」が何であるのかを決定するのは社会なのであり、さらに男とは何か、女とは何か、社会の安定に寄与すべくセックスはどうあるのが「自然」なのかをも社会が規定し、それを個々人の内に内在化させる。このようにして、個人と個人のプライヴェートな関係であると思われているセックスにも、社会制度や社会の価値観が確乎として介入している、と説く。言い換えるなら、政治的、経済的、市民権的な男に対する女の劣位が、まさに性行為自体の中で確認・強化されているであり、従ってその実態を理解しないままいたずらに性を解放しても、かえって女に対する憎悪の強迫観念や、女の劣位という病を悪化させることにもなる、という主張である。
1989年 (アンドレア・ドウォーキン 『インターコース 性的行為の政治学』 (寺沢みずほ訳) P.335 訳者あとがき)


男が支配する地域で、社会とは、男社会の別名。男社会によって、男の性の欲望は暴力と一体のものとして形造られています。
しかし、男社会の定義する男の実態は男しか知りません。自分たちで社会を隠しておきながら、男たちは女は社会を知らないと嘲笑するのでしょう。
もちろん、性暴力の欲望を実行に移すのは許しがたいことです。実行に移された性暴力には憤るべきだと思います。問題なのは、性犯罪者。
でも、男社会への表向きには性暴力の欲望を容認しながら男女社会という裏向きには性暴力を許せないと言う、二枚舌の男自任男たちのことをを忘れないでいてほしい。性暴力の欲望を許す者がそこらじゅうに大勢いることをわかっていてほしい。


忘れても、わかっていなくても、問題ではありません。何も悪くはありませんが、でも。
男女の性暴力をめぐる言説は、異様だと思います。
性暴力を糾弾する発言のほとんどは、まるで性犯罪者の男の欲望が一部の悪い男の「異常な」欲望だと言っているかのよう。
それを普通の男たちは陰でこっそり嘲笑う。
  「なにいってんの。ばかだね。それ普通の欲望だから」
そうではなくても。
  「悪いのはわかってる。でも仕方ないだろう。それが男なのだから」そんな感じでしょうか。
そして、男の彼らにとって社会で生活していくための最低限の資格が、男であること。
悪いことでも、そうしなければ社会に受け入れられない、食べていく金を稼げない、生活のためにはどうしてもそうしなくてはならない、それくらいに思っているのでしょう。加害者を擁護しなければ、自分が生きていけなくなるのです。被害者など眼中にあるわけがありません。
しかし、その最低限の生活はきっと全然最低限などではなく、最低限の生活に必要な金は女性の平均賃金よりはるかに多いんでしょうけどね。


殺人犯を匿いけしかている者ばかりの中で、それを忘れて、それを知らずに、「殺人犯、許せない」と憤っているのは、なんだか滑稽で悲しいくないですか。
殺人犯の罪を問うとともに、殺人教唆犯の罪も問いたいものです。*1

今の現状は、訴えた被害者の方が、よりいっそうの苦しみを負うようなものだ。
あまりに理不尽だと思う。
(同「あなたは悪くない | 性被害についての認識のずれ」より)


全くもって。


<先まわりの予想で宣言>
このエントリにもし「普通の男はそんな悪くないよ」系の男擁護の言い訳コメントが付いたら、放置して無視、または削除します。そんな認識は、男の実際を知らないかまたは、暴力性が当たり前になりすぎていて、多少表面的な表現が穏やかなら暴力を暴力と認識できないのでしょうと判断しています。また、そこから議論を続けても、普通はこうだ、普通はそうじゃない、の、どう認識しているかの不毛な主観の言い争いにしかならないと予想しますので。


2009/07/31 追記
穏健な説得や教育など功を奏さない。
だから、諦めろ、ではない。
だから、加害者と加害支援者=男を自認する男を徹底して問題化しよう。
つづき:女子男子アラサーアラフォー

*1: ここで言っている「殺人」は比喩ですが、ところで、何故、強姦は殺人よりも罪が軽いのでしょう。被害者に恐怖と苦しみを背負わせて生きさせること。現状、殺人事件に関して被害者遺族に苦痛を与えるいう点を考慮して、罪を重くしろという世論が主流ですよね。生きている者に対する苦痛によって量刑を増すという発想。その線で考えるなら、被害者に死の恐怖を与えた後に更に恐怖を継続させる強姦罪は殺人以上の重罪になりませんかねえ。 / なお、遺族の心情を慮って量刑を考慮するという考えには反対です。遺族がいる者と遺族がいない者の生命の重さに差を付けることになりますので。