二度書き

はじめに書いた日記を、ちょっと違う書き方してみた。
特に新規に追加した部分はありませんw



差別問題を緩和しようとする取り組みは、ある被差別者が差別されない社会を欲してるのだと思う。
でもそれは、実際問題として、望ましいことなのか、疑問。


純化してみる。


100名のかたがいて。
60名が、差別する側。
20名が、Aだから差別されている。
10名が、Bだから差別されている。
8名が、Cだから差別されている。
2名が、Dだから差別されいてる。


A差別が解消されて。
B差別が解消されて。
C差別が解消されて。
そのとき、残ったDの2名は、以前よりもっと苛酷な立場に立たされてしまうんじゃないかなあ。
ある差別が緩和されることで、もっと少数のかたへの差別は、より酷くならないかなあ。


100名中、ABCD合わせて40名の被差別者がいる社会で、差別されるのと。
100名中、D名しか被差別者がいない社会で、差別されるのと。
どっちが辛いですか?


同性婚がすごい嫌。
そもそも婚姻制度って既婚者を特別扱いして優遇するための特権制度でしょう?
そこから外されてた同性愛者にも、その特権を与えるというのが同性婚だよね。


旧来の婚姻制度で。
結婚指向の異性愛者が60名。
そこから漏れるのは40名、そのうち同性愛者30名。


そこから、30名が当事者として活動して、同性婚を法制化できたとする。


同性婚も付いた婚姻制度で。
結婚指向の異性愛者+同性愛者が90名。
そこから漏れるのは10名。
同性婚のときは、30名が活動したから不平等を撤廃できた。


でもその次、残りの10名では少なすぎて不平等に抗えないかもしれない。
そこで30名の同性愛者が当事者性にがんじがらめだったら、10名の少数派のことなんて見えず協力しないでしょう。


なので、同性婚が認められると、婚姻制度から漏れる10名への差別は、よりひどくなってしまう。
そんなのは嫌です。


そして、今の主流の被差別当事者性に基づいた差別緩和活動には、そういう危険がある。


10名を追い詰めないためには、当事者性を手放すか、まとめてすべてを解決するかしかないんじゃないかなあ。


だから、問題化すべきなのは、細かい差別カテゴリーはすっとばして、人類の最大の特権である人類優位主義と、最大の当事者性である人類自認だけだと思っている。