覚せい剤はいらない

elperro2009-08-13


舛添要一厚生労働相は11日、閣議後の記者会見で、昨年、覚せい剤事件で検挙された未成年者は中学生8人を含む255人に上ることを明らかにした。「芸能人逮捕で非常に注目が集まっている。これを機会に(麻薬、覚せい剤の)撲滅キャンペーンを強化し、人間そのものを破壊することを若い人に周知徹底したい」と述べた。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090812ddm041040041000c.html


ああ、そう。 あら、そう。 ふうん、そう。


覚せい剤やめますか? それとも、人間やめますか?」という定着した標語がある。


覚せい剤にはまると、人間ではなくなるぞ、という脅しである。覚せい剤にはまったら、人間という属性を剥奪すると脅している。これは、誰もが人間の価値を信奉していることを前提にしている。
あるいは、社会的な優遇を取り消すと脅しており、人間と認められるものを優遇する社会システムの権力性に依存している。
どちらにしても、社会や文化が特定の属性に絶対の排他的な価値を設定し権力を付与している。
それを差別という。
「人間やめますか?」は、差別思想に基づいた標語。


人間自認希望者たちは、社会から人間という価値承認を得ることを求めてやまない。
しかし、人間は、社会の判断によって定義され、社会の判断は時代や地域によって変わりゆく。
あいまいな判断基準に基づいたあやふやな定義の人間の価値を、どうやって信じているのでしょう。
ただただ社会の価値設定の言うなりに信じているだけ。そしてその信じることが社会の価値設定を強化する自作自演。


「人間やめますか?」はもちろん、覚せい剤常用者が人間という種ではなくなるとは言っていない。
社会や社会を背後につけた者たちによって、「人間ではあるけれど人間とは認めない」と判断される。
権力に従順でない者を非国民と罵倒することに似ている。その国の国籍を持っていなければ非国民とは呼ばれない。「国民ではあるけれど国民とは認めない」と判断される。


被差別属性を不可視にできるタイプのマイノリティに、カミングアウトをやめろという薦めにも似ている。
「差別構造下の特権階級でいることをやめますか? そんなことすると損するよ」と脅す。そもそも、得することがずるいことだというのに。


覚せい剤がは良いとは言わない。
覚せい剤には、人間自認者に人間自認の幻想性を思い知らせる効果はないでしょう。人間を越えた意識の高みに触れられるというわけではなく、覚せい剤をやっても、人間は人間のまま。傲慢な特権階級の差別主義者は、傲慢な特権階級の差別主義者のまま。覚せい剤を摂取するのは人間をやめるためではない。


人間をやめるのに、覚せい剤はいらない。関係ない。


「人間やめますか? それとも、覚せい剤やめますか?」は、支配的なイデオロギーとして善悪の定義を行う人間中心主義の庇護を受けて善良ぶった好印象を狙っているのが、いやらしい。
半分は覚せい剤で身体を壊すことを心配しているのでしょう。でも半分は、「覚醒剤をやったら、おまえはもう私たちの人間党から除名する」という脅迫。
標語のオリジナル版ではちゃんと、「追放しよう」と補足することで排他主義を打ち出している。少数派の排斥をしたい連中にアピールしていることがいくらかわかりやすく、まだ潔い。


はっきり言えばいいのに。
覚せい剤なんかやったら、よってたかってみんなでいじめるぞ。いじめ、だいすき!」って。